omochabako

ホームページ「omochabako」のブログです。

いやブログどころじゃなかった。

ので書き方とか滅茶苦茶忘れてます。

取り敢えずいじったついでに記録がてら。

 

そんなわけで、お久しぶりのブログです。あすやです。

Twitterをフォローしてくださっている方は

特にお久しぶりでも何でもないと思いますが、

一応そう挨拶させてくださいませ。

 

以前のブログを書いたのが3月だったそうなのですが、

丁度その後からてんやわんやでして……。

 

 

 

まず、4月に到頭精神的に限界が来まして、

会社を休職することになりました。

尚、それから4か月経った今も戻れておらずです。

 

というか、果たして戻るのが正解なのかどうか、

そろそろちゃんと考えないとなぁと

思いつつあるこの頃です……。

 

症状もかなり日に寄りけりで、

この休職期間中は身体的な体調も

崩すことが多くなりました。

社会人になってから月1で体調崩すようにはなりましたが、

もしかしたらその時から兆候はあったのだろうか……。

 

 

 

休職のタイミングで姉からSwitchを貰ったので、

あつ森やったり、剣盾(の盾の方)やったり、

暫くは久しぶりにスマホアプリ以外のゲームをやる日々でした。

 

その間、お菓子作りだけは続いていて、

6月には通信講座まで購入したくらいです。

(最後の課題がどうしても上手くいかず、

まだ合格はできていませんが……)

 

ですが、先月くらいから色々やってみたいという気持ちが復活し、

アクセサリーやスタンド、編み物、切り絵、

とにかく以前にやっていたことや

ずっと興味のあったことを少しずつやってみることに。

(この辺はインスタの@asuya_createの方で記録があります)

 

そして、自分の中では本業の小説も、

先月終わり頃から少しずつ書き始めました。

今では小説モードに入っているので、

暫くは色々書いている予定です。

 

 

 

で、色々更新できたのにホームページがほったらかしなことは

薄々気付いていたのですが……。

やっと更新しました。

そして同じく放置だったブログもこの機に書いたということです。

 

この後ホームページの更新のところでもまとめますが、

更新箇所、一通り記しておきます。

 

 

 

①小説リンク 更新

・長編:透明水彩の空を飛ぶ

・短編:Once again, baby

・短編:鈍色の星空

 

上2つは全文再公開済で、

『鈍色の星空』は本日21時にラストまで公開予定です。

 

元々noteで連載していた際は

「03」の箇所までしか書けていなかったので、

一応完全新作です。

ご興味ございましたら、是非ご覧ください。

 

 

 

②アクセサリー、カード類のインスタリンク 追加

 

ずっと別途作ってまとめようと思っていたのですが、

7月くらいにやっと更新しました。

もう現在の投稿まで追いついているので、

今後は作り次第新たに投稿していきます。

 

 

 

って、まとめたらこのくらいだったか。

もっと早めに着手すれば良かった……。

ダンマクカグラが面白すぎた……。

 

 

 

今まで、お菓子作りの頻度が高かったので

インスタの更新報告は載せていませんでしたが、

ホームページでくらいは言ってもいいのかなと思ったので

今後は気力があればお知らせ載せていこうかなと思います。

 

では、そろそろ小説の作業に戻ろうかな!

皆様ごきげんよう

 

 

 

脱皮みたいなもん。

だと思うこの頃。

 

 

 

定期的に、今まで自分の中で重ねてきたものを

全部投げ捨ててリセットしたくなる時があるのだけど、

よくよく考えたら脱皮みたいな感じだなと。

 

べりべりっと乱雑に剥がして

ぽいっと炎の中に投げ捨てたいよな。

 

擬音入れると心なしか可愛く見える説。

 

 

 

でも実際、

積み重ねてきたものの価値って何だろうと。

 

「言うことを聞け」と言われて真面目にし、

「勉強せよ」と言われて勉強し、

「上位の学校に入れ」と言われて受験し、

「友達を作れ」と言われて友達を作り、

「個性を出せ」と言われた果てには

「型に嵌まれ」と言われる結末があり……

 

うーん?

世間一般で言われる「こうすべき」像って

全部そうなろうとしたら

絶対に矛盾が生じるんだよな?

 

大人になった今だからこそ

振り返って考えられるけど、

これを子どもの時に「取捨選択せよ」と言われても

中々無理があるような?

 

世の中の「普通」って、

恐らく上の中くらいだと思うんだよなぁ。

どこが普通なんじゃい。

 

 

 

正直、真面目で良かったことなんて

振り返ってみても何もなかった気がする。

 

「普通」を目指しても

良かったことなんてこれまでにあったっけなぁ。

 

良い方向に導こうとしてくれる善意を

全て無碍にしようとは思わないけど、

毒になってしまうようじゃ意味ないよなぁ。

 

 

 

自分に合うものは自分が一番知っている。

他人に決められるものではない。

 

そうやって生きていけたらいいね。

きっと最初で最後の逆転現象の話。

今月、気力の低下がやたら激しいので

今月一度もブログ書いていない気がしてましたが、

7日に書いてたんですね。

 

そんなことも忘れるほどには

この1年結構物忘れが多いあすやです。

 

先月23歳になったばかりの

若者のはずなんですけどね……?

「物事を憶える」ってことが

何故か上手くできないこの頃です。

 

なんかヤバい気もしているんですけど、

今回の話はそこじゃないんでこの話はぶっ飛ばします。

 

 

 

 

上記にある通り、現在23歳なんですが。

 

人生の半分以上は死にたいだの消えたいだの

結構な頻度と濃度で思っていた僕が、

ここのところ初めての感情に鉢当たりしています。

 

かつての自分は想像すらしなかっただろうね、

まさかこの僕が

「自分を好きになりたい」と思う日が来るとは。

 

もう少し正確に言うなら

「自分が好きな自分で在りたい」。

 

 

 

 

ちょっと、そもそもの前提の話を少しだけ。

 

10代の頃は20歳になる前に死にたかったし、

20歳超えたら今度は、30歳になるまでには

誰からも忘れられた上で

そのままこの世から消滅したかった、です。

 

人を信じることはできないわ、

なんなら人を感情的に愛することもできないわ(アセクシャル)、

(ここ、正確にはアロマンティックなんだろうけど)

終いにはXジェンダーだと判明して

一気に自分のアイデンティティ崩壊するわ、

 

どうやったって他人を悪い方向にしか巻き込めない自分が、

この先も生きていて何かいいことあるのか?

 

と本気で思う程度には

自分自身のことが嫌いでした。

 

 

 

だけど、去年の6月とかその辺だっただろうか。

 

ある日急に、

本当に何の前触れもなく、急に。

 

「確かに僕の性格が悪すぎるのは事実だけど、

自分だけでも自分のこと認めてあげなきゃ

一体誰が認めるんだ?」

と思って。

 

 

確かに僕以外に、

僕のことを認めてくれる人が

そこそこいたことは分かっていたけど、

結局自分が自分を肯定しない限り

その言葉は一度も真実にならない。

 

これじゃあその人たちもこれまでの自分も

誰一人何一つとして報われないなと思った。

 

これが一時の超絶スーパー無敵モードで、

後々酷い反動にならないか心配してたんですが、

その後、特に反動が来ることもなく、

前向きに「生きてやるか」と思い続けています。

 

強いて言えば、この前本当に久々に

「うわぁ死にてぇ!」となったくらいかな。

 

以上、前提の話、終わり。

 

 

 

その時から

「自分が納得するまでは死なない」をモットーに

ここまで生き続けてきたわけですが、

 

ここ最近、強く思っているのが

「自分が好きな自分で在りたい」なんです。

 

 

 

社会に出たら色んな人がいました。

 

自分にとっては常識だったことが

常識じゃなかったこと、

逆に全く知らなかったことが常識だったこと。

1年弱で色んなことを見て聞いて感じてきました。

 

バイトもしていたけど、

比にならないほど色んなことで溢れていました。

 

 

 

その結果、分かったことは

「『標準になろう』が間違い」だったということ。

 

 

 

僕が就活をして会社員になろうと思ったのは、

「普通の人」に少しでも近づこうと思ったからでした。

 

自他ともに認める「変な人」だし、

なんなら世間知らずであることも分かっているから、

社会勉強はしておいた方がいいんだろうなと。

 

趣味を仕事にするのは、

それでその趣味が嫌いになるのが嫌だから

選択肢からは切り離していました。

 

 

 

だけどこの1年弱働いて分かったことは、

 

「『標準』になろうとして自分が息できないと意味がない」

 

でした。

 

 

 

どうやら新人の割には

結構な量の仕事をさせられていたらしく(無自覚)、

暇じゃないというのはありがたいことなんですが、

 

元々「時間>お金」タイプで、

そもそもお金を稼ぐということにあまり興味がない上、

「創る」が生き甲斐の人間なので、

仕事で疲れ果てて創作の時間がまともに取れないことが

(目の奥や頭が痛いのが常です)

結構ストレスなんだな、ということが

ここ最近割と分かってきました。

 

 

 

気力があれば

週末にお菓子を作ったり小説を書いたり、

そんなことをしていたら、自覚しました。

 

僕、ものづくりをしている時の自分が一番好きだ。と。

 

やっぱり楽しいし、その時間が好きだし、

この時間なら生きていたいって思えるなと。

 

 

 

Xジェンダーということを公表していないので、

職場ではやはり「男性/女性」の軸が強いことに直面するたびに

息苦しい感覚を抱くことが多いこともあり、

 

「自分が好きだと思える自分でいたい」という思いは

ここのところ、結構強いです。

 

 

 

折角やっと自分を認められたんだから、

自分のことが好きだと胸張って言えるような自分になりたい。

 

だから、自分が好きな自分で在りたい。

 

 

 

とは言っても根は臆病なので、

「思い立ったらすぐ行動」派の僕でも

慎重に考えているところはあります。

 

でも、ずっと思い続けていることは

やっぱりやらないと気が済まないし、

 

別に人生、割とどうにでもなるな。

 

そう思いながら生きていくことにしているので、

決意はこの先もきっと変わらないです。

 

 

 

歪だらけの自分でも好きになれたから、

この先も「こんな自分」で生きていたいと思えるような

生き方をしていきたい。

 

やりたいことは、結構たくさんあるしね。

何故か週末に連続で体調を崩すこの頃。

というわけで先週はブログを書けず、

今週もなんとか底の方にあるやる気をかき集めて

日曜日に書いているあすやです。

 

活動ネームが苗字もついているので

こういう時(正式な時?)はつい

「岡本です」って言いがちなんですが、

名前の見栄え(?)的に苗字をつけただけなので

名前の本体は「あすや」なんですよね。

(なんなら漢字も普段はあまり使わない)

 

それなら「あすや」で活動すれば?って

思うところではありますが……。

それはそれでなんだか気持ち悪いので

やっぱりこのままでいきます。

一体何の話なんだこれは。

 

 

 

一昨日、雛祭り菓子作りで余った

白あんを足して栗蒸し羊羹を作ろうとしたら

こしあんも賞味期限が割と近かったことが判明し、

予定の2倍量の栗蒸し羊羹が完成しまして。

 

昨日、たまたま親戚が集まる機会があり、

丁度参加者分配れそうだったので

皆に1つずつ配ってきました。

中々家族と祖父母以外に渡す機会がなかったので

喜んでもらえて嬉しかったですねぇ。

 

そのついでに小学生のはとこちゃんと

隣町まで散歩してきました。

はとこ家の犬の誕プレを買いたいとのことで

ペットショップ巡ってましたが楽しかったです。

 

 

 

今日は、昨日の夜からひたすらやっている

「歌詞の好きな言葉を抜き出す」ということを

やる予定です。

ちょっとやってみたいことがありまして。

 

やりたいことをやってみるにしても、

1つの方向から見るだけじゃ駄目で、

色んな方向から見て最適解を見つけるのが

一番大事ですね。

 

果たしてこれが最適解なのかは

やってみないと分からないですが、

今は取り敢えずやってみることにします。

 

 

 

思い描くこと。

2年前の僕は、

「社会人=会社に勤める人」の印象が

あまりにも強かった。

 

大学3年になれば嫌でも就活を意識し始めて、

4年になったら大体本格的な就活をしている。

 

そんな流れに乗っかったから、

今の立場の僕があることは分かっていて、

今のところ金銭面で困っていないのは

過去の自分のお陰ではある。

 

 

 

でも、仕事と趣味を両立し始めて、

改めて思ったことがある。

 

やっぱり僕は、

「ものづくり」をしている時が一番好きだし、

「ものづくりをしている自分」が

一番好きであると。

 

 

 

「仕事をする」というのは

やっぱり「お金を稼ぐこと」であるし、

「お金を稼ぐ」ためには、

自分の得意分野だけでは成り立たない。

 

そう思っていて、

「制約」があるものづくりはできないと思ったから

敢えて趣味以外の分野の仕事を選んだ。

 

 

 

でも、働き始めてもうすぐで1年。

そこでやっと分かったことがある。

 

僕は興味の有無が

特に激しいタイプだという自覚がある。

そのため、自分があまり興味のないことだと

本当に、いくら覚えようと思っても

いつまで経っても全く頭に入ってこないのだ。

 

かつてのバイト時代も、

最初は訳が分からなくてひたすらに辛かったが、

慣れと実力の成長を実感するにつれて

本当に楽しくなっていったし誇りになっていった。

 

だから恐らく仕事でもそうなれると思っていたのだが、

いつまで経っても全くそうならない。

 

……と書いていると

やっぱり自分は甘ちゃんなのだと自覚するが、

まさか自分でもここまで中々楽しく思えないとは

本当に予想外だった。

 

 

 

元々短期的思考の持ち主ではあったが、

「未来を思い描く」とは本当に難しいことなのだと

改めて実感する。

 

今を生き抜くのも精一杯だが、

数年後を目指して計画しても

その「数年後」には気持ちが変わっていることもある。

 

自分自身でも驚くような

気持ちの変わりようというのは

誰にでも起こりうるはずなのに、

「未来を見て行動せよ」というのは

実に難題だな、と。

 

未来を思い描くことは、

多分この世界で一番難しいんじゃなかろうか。

「理想」と「未来」は別物であるし。

 

 

 

そろそろ眠いので寝るとしよう。

おやすみなさい。

 

 

 

 

一生効率厨にはなれなさそう。

仕事でも何でも

「無駄」というものは省かれがちだけど、

僕は無駄なことが結構好きなので

一生効率厨にはなれないなぁと思うこの頃です。

 

と言っても、そう思えるようになったのも

案外最近の話だったり。

 

元々脳内だけの完璧主義要素は持っているので、

昼前に起きてしまった時とかは

「時間無駄にした……」と思ったり、

お菓子作るのを失敗した時も

「無駄になったなぁ」と思ったりします。

 

でも、少しだけ前向きに考えられるようになったせいか、

「まぁいっか」と思えるようにはなりました。

 

思えば小説だって、

結局言いたいことは1シーンにも収められるのに、

わざわざ要素を引き延ばして

1つの話として書いている。

しかも完結させるまでに相当な時間をかけて。

究極、歌詞だってそんな気もします。

 

それでも作品としてそうやって作るのは、

無駄が好きじゃないと

できないことな気がしています。

 

最短距離で詰め込んだ濃密な人生も

きっと悪くないのかもしれないけど、

余計な遠回りをしながらのんびりするのも

同じくらい魅力的なものなのかもしれない。

 

その気持ちだけは、この先も忘れたくないなぁ。

 

 

 

 

51%の目標。

ホームページを公開するまでに

時間がかかりそうだと思ったので

せめて週末の目標だけでも

習慣づけようと思って書き始めた

……はずだったのですが。

 

仕事が忙しくなってすっ飛ばしたまま

2週間経過しました。

 

そうこうしてたらなんと

ホームページ公開になりました。

(公開しちゃいました)

 

というわけで、

ブログらしいこと書こうかなと思って

この記事を書いています。

 

でも、そんなに頻繁に

ブログが書けるようなタイプでもないので、

週末記録は続けたいと思っています。

長続きさせてぇ……。

 

 

 

 

 

つい先日、誕生日でした。

 

20歳超える前に死んでやると思っていたほど

希死念慮の塊でしたし

20歳以降の人生プラン何も考えていないような

めちゃくちゃな人間でしたが、

その20歳からもう数年経ったようです。

時の流れって恐ろしい。

 

何故だかここ1年くらいで

いきなり希死念慮なんてものは

どこかへすっ飛んでしまい、

自己肯定感も前より格段に上がって

なんだか不思議な日々を過ごしています。

 

そんな僕が、友人から

「誕生日おめでとう」と言われた時に

返した言葉の一部が

「51%前向きを目指して頑張る」でした。

 

この言葉、ある曲が元になっています。

UVERworldの『51%』です。

 

この曲は、付き合っている2人が曲の主人公で

2人の思いを合わせて「100%」にした時、

「相手よりも自分の方が

相手を『好き』と思う気持ちでいたい」

という意味を込めて

「51%」というタイトルになったそうです。

 

僕、恐らく以前にどこかのタイミングで

こういった内容を見ていたみたいで。

(今回改めて検索したら

どこで見かけたのか分からなかったです……)

不思議なくらい、自分の中で憶えていました。

 

一応、できるだけ前向きになれるように

日々思ってはいるのですが、

元々根がネガティブなのと、

頑張りすぎても必ずどこかで

ぷつりと気力が途絶えてしまうので

頑張りすぎたくはないのです。

 

その時に思ったのが

「ポジティブとネガティブが50%ずつあるとしたら、

1%でもポジティブの割合が

増えるようにしよう」ということでした。

 

その時にUVERの『51%』を思い出して

「51%前向き」という言葉になったわけです。

 

因みにこの言葉を受け取った友人、

この曲を知っているかは分からないのですが

言葉の意図はしっかり汲み取ってくれていました。

流石です。

 

 

 

ちょっとだけ前向きに、

ちょっとだけ頑張る。

 

これを目標に、やってみます。

 

 

 

取り敢えず明日は本読みたい。